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ガイアブックスのスタッフブログ

スタッフブログ

校正論と読書欲
2010.09.22
高円寺純情出版会に行ってきました! 本日のテーマは『電子出版はリアル校正の夢をみるか』 講師は大西寿男さん(ぼっと舎 ) ゲストに前田年昭さん(ライン・ラボ ) 「何のために校正してるのか?」 という現場の憤りを実感した講演でした。 15世紀グーテンベルクの活版印刷発明から生まれた出版文化。データ入稿、DTP、簡易印刷とレールが瞬く間に拡大した出版ルネッサンスを経て、近年深刻化している出版不況。 この間、校正の現場でも時代的変遷が起こります。 校正の根幹である引き合わせ作業は、新刊の大量生産により素読みへと簡略化されていく。納期短縮を強いられることによる編集者のモチベーション低下と共に、校正の精神も誤りを”正す”ことより体裁を”整える”ことにベクトルが置かれていく。ゆえに漢字の変換ミスや誤植に気づかない、言葉を磨く力が低下している。 果たして今後電子出版の校正はどうなるか? なるほど、出版の納期短縮・大量生産によって強いられる編集現場の簡略化が 出版文化から言葉の価値を見出す探検を失わせているのですね。 そんななか電子出版の校正にリアル校正の道はあるのでしょうか。 「エンパワメント(empowerment)」という言葉をご存知でしょうか。 人々が互いに力を合わせよりよい社会を築くために、自分で意志決定し行動する能力を身につけること。 人々が潜在的に持つ能力を生かすための概念。 「出版において言葉とはエンパワメントするものである。」と大西氏。 素敵な表現だなと思いました。 他にも、 「校正者との対話のうちに、ゲラの言葉自身があるべき言葉を再発見し、じぶんの言葉と出会う。」 「校正者は、言葉の助産師さんでありカウンセラーである。」 という名言を発せられていました。   それから、”校正者のこころ”として 「校正者は言葉自体を自律した”いのち”として迎える…あたたかい言葉はよりあたたかく、冷たい言葉はより冷たく。」 という言葉が心に響きました。   最後に「校正者は人間である」ことを強く訴えられ、 「間違い探しではなく、品質保証へ。」 「ロボットではなく人間として、言葉を読みとりすくい上げることができる。」 と会場に共感の渦を巻かせました。   続いてゲストの前田年昭さんが2点に話題を絞って講演。   ①本はなぜ面白いか。どこから本を読みたいという欲望が沸いてくるか。 エロ・グロ・宗教・カルトは出版界からも印刷界からも拒絶されるようになってきた。 それは社会的になぜタブーなのか。 印刷して出版して、それを読んで、そして意見できるだけの力・反発心を育んできたのは書物ではないのか。 出版界は自由であるからこそ素晴らしいのであり、 自由な出版こそ人間に欲望(ここでは、反発する欲望、発言の欲望、発言するために知識をつけたい欲望の意味) を与えてきたのではないか。反発欲→発言欲→知識欲→読書欲と方程式を作ったのではないか。 電子書籍は出鼻から検閲が厳しい。 アップストアでは申請書籍から30%を却下しているという。 マンガ「働きマン」安野モヨコ著 は一部性的表現があるため発売禁止。 「i PONEを作った会社」「i PONEを作った男」も禁止 。   電子書籍会社の過度な検閲は、読書欲の低下に繋がる要因ではないか。   「働きマン」は本当に女性に力を与える素敵なマンガです。私も大いに勇気づけられました。 たった一部のタブーを理由に発売禁止なんて信じられません。   ②人がものを考えるときに、本がどのような働きをしているか 書籍は決まった行数で折り返され、決まった順に並んでいます。 文庫には文庫の、新聞には新聞の、決まった組版があるからこそ 「確かあの話は、あの頁のあの辺りに書いてあった…」 と記憶と連動すると仮定。 文章を記憶するのは難しい。しかし、印刷物の余白と行間が読みを助け、版面を支えている。   …ということは、人間の思考回路に本の組み方は適しているのでは? 紙の本の可能性を脳レベルで観察した素晴らしい見解をお聞きできました。

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