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手相とは2014/07/11更新

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手相の歴史

初期の手相占い

指紋の存在は、中国では紀元前3000年の昔から認識されていたらしく、当時の皇帝は文章に封をするとき、自分の拇印を押している。けれども、手と手のひらに表れたしるしを見て性格判断や将来の予見が行なわれたことを照明する最古の記録は、それより1000年後のものである。サンスクリット語の文献に、幸運を表す手のしるしや線を解釈する方法として「サムドリカ・シャストラ」という言葉が記されている。同じような手相占いの法則と実践についての文章がヴェーダの写本にも見られ、聖書や初期のセム語の文献でもこの技術に触れている。これまでのところ証拠は見つかっていないが、手相占いの地理的な広がりから見て、古代のシュメール、カルデア、バビロンなどの人々の間でも行なわれていたと思われる。

 

手相学の普及

手相学は、古くはキロロジーと呼ばれ、ペルシア、エジプトからトルコ、ギリシアまで広まっていた。伝承では、アリストテレスがエジプトへ旅したとき、ヘルメス神の祭壇に捧げられていた手相学の本を見つけたとされている。

その書物はアラビア語の金の文字で書かれていた。感銘を受けたアリストテレスはアレクサンダー大王にこれを送り、有益で価値のある研究としてほめ称え、学者はみなこれを学ぶべきだと助言した。アレクサンダー大王はその価値を認め、さっそく本をラテン語に翻訳させた。こうして手相の知識はヨーロッパの学者たちにも伝わり、すぐに研究が始まったという。

 

衰退

手相学には、豊富な知識を持つすぐれた支持者が次々と表れたが、例にもれず中傷する人もあった。例えばユウェナリスは、手相家をペテン師と呼び、敵意を隠そうともしなかった。けれども、ヨーロッパの手相学の評価を決定的に傷つけたのはキリスト教会だった。おそらく教会は、だまされやすい人々をくいものにしていた悪徳手相家の活動を抑えようとしたのだろう。

教会はまた、手相学は異教に起源を持つものと考えた。そして西暦315年、ローマカトリック教会は手相学を異教的として糾弾し、手相に関わった者は破門すると宣言したため、その後1000年間、ヨーロッパでは手相の診断は人目を忍んで行なわれるようになったのである。

 

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